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[ヒトを深める] アートユニットの大西治・大西雅子さん

南丹地域|京丹波町
自宅の庭に置かれた作品《KUMA room》(2019年)の前で

大西治・大西雅子は、京丹波町を拠点に活動するアートユニットです。ふたり共に大阪市の出身ですが、京都市立芸術大学に進学し、卒業後すぐに結婚、アーティスト活動を継続することのできる環境を求めて京丹波町に移住しました。それが1980年代後半、まさにバブル真っ只中の時代。大学から比較的近い大阪府能勢町や京都府亀岡市は地価が高く、とても手が出なかったそうです。

京丹波町に土地は確保したものの、そこに住む家はありませんでした。そこでまず、亀岡にアパートを借り、治さんは南丹市日吉町の森林組合で木こりを、雅子さんは京都市内の都市計画会社に勤務しながら、3年間かけて自分たちの手で家を建てたそうです。治さんは彫刻専攻で大きな作品を作ることを得意としていましたが、建築に関しては素人。でも、とにかく頑丈に作ったのが幸いして、これまで大きな地震や台風が来ても壊れることはなかったそうです。その構造はユニークで、例えば玄関扉の代わりにワゴン車が設置されていて、座席のドアを開けて室内へ入るようになっていたりします。

大西邸の玄関はなんとワゴン車!表札代わりの看板「OHNISHI ARTS AND CRAFTS」は治さんの仕事の屋号で、アートだけでなく、クラフト(ものづくり)、そしてさらにはファーム(農業)まで扱います。

冬場に重宝する薪ストーブも鉄板から自作。スチームパンク的な造型で、実用品でありながら彫刻作品と呼べるものになっています。

アート作品、特に大きな彫刻作品を作るにはお金がかかります。京丹波町で制作のための環境を手に入れたものの、生きるために、そして作品を作り続けるためには他の仕事に従事しなくてはなりませんでした。平日に、治さんは博物館の展示物など造型物を作る仕事を、雅子さんは美術教員をしながら、休日に作品を制作するというハードな生活。生きることと格闘する日々の中でしたが、何不自由なく制作できているアーティストとも対等でありたい、作品を作るという行為を諦めたくない、そんな想いを糧にコツコツと制作、発表を続けました。

2007年、子どもの手が離れたことを契機に、ふたりは本格的にアート活動を再開させます。その際、これまでの個人名ではなく、ふたりの共同名義「大西治・大西雅子」を名乗ることにしました。とはいえ、作品だけでは食べていけないので、依然として他の仕事をしながらの活動でした。加えて、雅子さんは母校の京都市立芸術大学の大学院博士後期課程へと進学します。「教授が同級生みたいなものやし(実際に担当教授は1学年上の友人、他の教授たちも同級生や後輩だったそうです)、向こうはやりにくかったと思うよ」。

博士後期課程では、京丹波町という農村での暮らしが、多岐にわたる創造へのヒントになりえるとの観点から論文の執筆を試みました。極個人的な、田舎での暮らしの中にこそ、そして、実際に年月をかけて見たものや感じたもののなかにこそ、新たな創造のヒントが眠ってるのではないか。そして2017年、『「農」からの「知的生産」:思考と創造のアーカイブ』と題した論文で博士号を取得しました。

自宅にはこれまで40年近くかけて作ってきた大小さまざまの作品が置かれています。大西治・大西雅子《USAGI shelter(1/10サイズマケット)》(2022年)

倉庫として使っている自宅近くの元喫茶店の敷地には巨大な彫刻作品が並べられています。その異様な光景により「ナニコレ珍百景」にノミネートされたこともあるそうです。

室内も作品で埋め尽くされています。

 

1998年、治さん、雅子さんは兼業農家を目指してみようと、JAに相談に行ったことがあったそうです。そこで京野菜の伏見甘長唐辛子の栽培を勧められ、就農しました。2002年には、近所の人に米作りを勧められ、稲作を始めることに。今では12000㎡(1町2反)の農地を耕作しています。

生きるための糧のひとつとして始めた農業でしたが、携わることで別の視点を得ることができたといいます。田舎では、芸術は「よくわからないもの」と捉えられがちです。何かよくわからないことをしている外から来た自分たち。しかし、野菜の栽培や米作りを通じて、地域の人たちと価値観を共有できるようになりました。農業をすることによって、本当の意味で地域の仲間に入ることができたような感覚があったそうです。

そして、その価値観で見る京丹波町の景色は、それまで見てきたものとは異なるものでした。これまでは、田舎の風景は都市の人工的な風景と相反するものに見えていました。しかし、農業に携わるようになったことで、その自然が実際には人間によって作られているものだと感じるようになりました。多くの人たちが「豊かな自然」と思っているものは、実は、何百年もの時間をかけて、おびただしい数の人の手によって改造され、維持されているものなのだ。故に農業とは、「美しい自然」という作品を作る、創造行為と呼べるのではないだろうか。

芸術を相対化して見るようになった今、大西治・大西雅子は、美術界に向けてではなく広く一般の人たちに向けて、身近なものとして楽しむことができるような作品を京丹波町から発信しています。

大西治・大西雅子《USAGI sunshade-SAKURA》(2020年)写真提供:大西治・大西雅子 兵庫県朝来市で開催された「あさごアートコンペティション」で大賞を受賞し、恒久設置された全長8mのステンレスとアルミでできた巨大なウサギ。ずっとその場所にあり続ける作品なので、地域の人に不快感を与えないようなものを心がけたそうです。

季節によって作品の見え方も変わります。長い田舎生活や農業に携わることで得た自然観が、この作品のあり方に反映されているように思われます。


大西治・大西雅子
大西治、大西雅子によるアートユニット。1987年より個別のアーティストとして美術作品を制作、発表していたが、2007年より共に活動している。

大西治
大阪府生まれ。1987年、京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。

大西雅子
大阪府生まれ。1986年、京都市立芸術大学大学院絵画専攻修了。2017年、京都市立芸術大学大学院メディア・アート領域博士後期課程修了。博士(美術)。


取材日|2022年8月1日
取材・文責・写真|宮下忠也(京都府地域アートマネージャー・南丹地域担当)


(記事執筆:宮下忠也(京都府地域アートマネージャー・南丹地域担当))