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[ヒトを深める] アーティストの井上信太さん

南丹地域|南丹市
自宅前に設置したベンチにて

南丹市在住のアーティスト、井上信太さん。これまで国内外の数多くの展覧会に出展し、また海外での和太鼓演奏や能の舞台美術、子どもや障害のある人とのワークショップなどを行ってきました。

井上さんの直近の仕事に、岩手県大船渡市で実施した《三陸ブルーラインプロジェクト》(2022年)があります。このプロジェクトは、大船渡の防潮堤を三陸の海をイメージした青色のタイルと、地域の子どもたちとのワークショップで制作したモザイクタイルで装飾するというもの。東日本大震災後、大船渡の海岸線には高さ7メートル超の防潮堤が建造されました。それによって大船渡の景色の主役は、青い海から巨大で無機質なコンクリートの壁に取って変わられました。《三陸ブルーラインプロジェクト》は、そんな大船渡の現在の景観に、海を想起させる彩りを加える試みです。

《三陸ブルーラインプロジェクト》(2022)

井上さんが初めて被災地を訪れたのは7年前。『三陸国際芸術祭 in 六本木アートナイト2016』に参加したことがきっかけでした。2017年には、大船渡で《まちを彩るシリーズ》と題された4回のアートワークショップを実施、その後も継続して関わり続けてきました。

この7年間で、最初期のワークショップに参加していた子ども達は青年へと成長しました。彼ら彼女らの中には、参加者から運営スタッフへと立場を変えながらずっと関わり続けているメンバーもいます。そのことについて、「7年続けたことで、次世代の若い芽が出てきたと実感できたのが嬉しい」と静かな口調で話されたのが印象的でした。

地域でアートプロジェクトを展開させる際に、井上さんが心がけているのが「小さな輪をいくつも繋げていくこと」。地域の中には、「大きな祭り」になるとそれだけで引いてしまう人たちが少なからずいます。地域ぐるみで参加してもらうには、小さな関係性をいくつも積み重ねながら少しずつプロジェクトを広げていくことが重要になってくるのです。

今後は《三陸ブルーラインプロジェクト》のさらなる展開に加えて、大船渡を世界一ベンチの多いまちにするというプランを温めています。まちのあちこちにベンチを設置し、そこで始まる井戸端会議を通じて、次世代にこの地域の歴史を語り継いでいく。そんな地域コミュニティの揺籃プログラムを、じっくりゆっくり焦らずに進めていきたいということでした。

そんな井上さんの代表作に、《羊飼いプロジェクト》(1998〜)があります。木の板にモノトーンで描かれた羊のような4本足の生き物(絵画作品)を、道路や公園などの公共空間に放牧(仮設展示)するという作品です。展示される絵はもちろん作品なのですが、展示するという行為自体や作品が展示されている空間で起こる出来事など全てをひっくるめた作品です。

この非常に独創的なスタイルは、どこから生まれたのでしょうか。井上さんは、京都精華大学デザイン学部でビジュアルコミュニケーションデザインを学んでいましたが、次第にコンテンポラリーアートへの関心が高まり、その本場であるヨーロッパで活動することを決意します。音楽一家に生まれ自身もドラム奏者だったことから、1994年、和太鼓集団「和太鼓一路」の一員として渡欧。オランダを拠点に、ドイツ、ベルギー、フランス、デンマークなど約100箇所の公演に参加しました。しかし皮肉なことに、演奏活動が忙しすぎて肝心のコンテンポラリーアートに携わる時間がまったく取れなかったそうです。

日本へ帰国した後の1998年、ヨーロッパでの旅芸人のような生活やライブパフォーマンスの経験、大学で学んだデザインのスキルなどを統合させて生み出したのが《羊飼いプロジェクト》です。制作拠点の京都を皮切りに、これまで大阪、名古屋、東京、北海道、海外ではドイツ、ベルギー、中国など世界各地で放牧してきました。

《羊飼いプロジェクト》(1998~)
写真左上から、中華人民共和国 内蒙古(2001)、北京 天壇(2001)、東京 浅草寺(2004)、右上からインドネシア バリ島ウブド(2007)、オランダ アムステルダム(2014)、名古屋 ヤマザキマザック美術館(2014)

近年は、新しいことにチャレンジするために、あえてこの《羊飼いプロジェクト》を封印していました。しかし2023年から、本格的に再始動させる予定です。昨年、井上さんは突然、脳溢血で倒れ、死の縁を彷徨いました。その時に、「ダンス、音楽、羊飼い。この3つ*をやり切るまで死ねない」という強い想いが湧き上がってきたそうです。「病院のベッドの上で、早く退院して作品 を作りたいとずっと考えていた。残された時間で、無駄なことはしたくない。」医者からは再び歩けるようになるかどうかもわからないと言われていましたが、その想いを原動力にリハビリに 励み、奇跡的に走れるまで回復しました。「病気で色々と整理された。やるべきこと、やりたいことがはっきりとした。生きる、作る、見せる。それに注力して行く。」

*井上さんは羊飼い(現代美術作品の制作、発表)や音楽(和太鼓の演奏)に加えて、高校生の頃からストリートダン ス(HipHop)をしています。

今後の目標は、羊飼いプロジェクトで世界一周すること。ロシア、ウクライナ、ルーマニア、メキシコ…、これまでの多彩な活動を通じてできた世界各国の友人たちの伝を頼って、プロジェクトの実施候補地のリサーチをしています。「僕のやりたいことは総合芸術。演出、パフォーマンス、照明、音響、プロデュースを含めたアート。《羊飼いプロジェクト》は、あくまで絵画(平面表現)。だけど、ただの平面ではなく拡張する平面。その可能性を探っている。」 拡張する平面の一要素として、世界中で展開されるプロジェクトをYouTubeでライブ発信することも考えています。実は20年以上前に、《羊飼いプロジェクト》の様子をライブ配信をしようと考え大手通信会社に相談に行ったことがあったそうです。「その時は、ライブ配信に1000万円 かかると言われて断念したけれど、時代が変わった。」新型コロナウイルス感染症のパンデミックが収束しつつある今、井上さんの世界規模での遊牧の旅が再び始まります。


井上信太
アーティスト。1967年大阪府生まれ。羊飼いプロジェクトを中心に国内外で多数の展覧会を行う。近年は、多領域のアーティストとのコラボレーション、劇場、能舞台、茶室など新しい空間での平面構築を積極的に取り組み、次世代平面表現の可能性を探っている。子どもたちとのワークショップや障害のある人との美術セッションなども多数行う。帽子愛好者。


取材日|2022年8月3日
取材・文責・写真|宮下忠也(京都府地域アートマネージャー・南丹地域担当)
作品写真提供|井上信太