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[ヒトを深める] 庖丁コーディネーターの廣瀬康二さん

南丹地域|南丹市
南丹市八木町新庄地域にある食道具竹上の工房

料理包丁を専門に扱う「食道具 竹上」代表で庖丁コーディネーターの廣瀬さんの工房が、南丹市八木町にあります。
もともと包丁と縁があったわけではありません。大学卒業後にスキューバダイビングのインストラクターを志し渡ったオーストラリアで、世界に通用する日本の食文化の素晴らしさに気づかされました。そして、それを厨房の中で支えている包丁という存在に可能性を感じ、日本に帰国後、京都市内の包丁専門店に入社しました。

 

小さい頃からここが好きやった

その包丁専門店で16年間腕を磨き、廣瀬さんは独立しました。そのための拠点としてまず頭に浮かんだのが、南丹市八木町新庄地域にある一軒の空き店舗でした。そこはかつて祖父母が薬屋を営んでいた、子供の頃に学校が休みになるとよく遊びに行っていた思い出の場所です。
しかし、新庄は山に囲まれた広大な田畑の広がるとても長閑な地域。いくら愛着があったからとはいえ、ここで商売を始める勝算はどこにあったのでしょうか。

 

料理包丁にとって、京都丹波の天然砥石は世界一なんですよ

南丹市八木町を含む京都丹波地方は、2億5千万年前に火山灰やプランクトンが堆積してできた地層が露出する良質な天然砥石の産地です。その歴史は古く、鎌倉時代の文献に登場することから800年以上前にはすでに産出されていたと推定されています。しかし、安価な人造砥石や鋼とは特徴の異なるステンレス包丁の普及により需要が減少し、今はほとんどの鉱山が閉山してしまいました。それでも包丁職人にとって、京都丹波は聖地のような場所。そんな所に祖父母の残してくれた店舗があったのです。

研ぎ場には、各種砥石が並べられています。 一般的な新品の包丁は運搬時の刃欠けを防ぐなどの理由により刃先が鈍角になっているため、あまり良く切れません。 包丁本来の切れ味を引き出すには、購入時に刃を繊細に研ぎ直すなどの調整が必要で、それを本刃付けと呼びます。

 

ちゃんとしたことをしていたら、山奥でもお客さんは来てくれるし、来てくれるくらいの魅力のあることをせなあかん

八木町からの船出の背景には、廣瀬さんの包丁の師匠の教えもありました。職人としての仕事はどこでやっても変わらない。道具さえあれば山の中でもできます。だったら、八木でしっかりとしたものを造って、それをいろんなところに持って行けばいい。日本全国どこにでも、郵送する事だってできるじゃないか。自分は料理包丁で、この場所に人を呼んでくるくらいのことができるんだ。そんな信念があったそうです。
実際、このインタビュー中にも包丁修理の依頼がありました。今は京都市内に店を構えているため、八木の工房には週に1日いるかどうか。それでも来客があるのです。

 

和食文化の中心地、京都で勝負したかった

包丁文化を広め、深めていくためには、和食文化の中心地である京都で勝負したかったという廣瀬さん。しかし、いきなり市内に店舗を構えるには資金も無い、修行先とも被る。八木は「京都府」で、しかも市内からも足を運べる範囲内にあり、ちょうどいい距離感でした。
また、祖父母が営んでいた薬屋の名前が「竹上」だったことにも縁を感じました。竹はしなやかさと強さを併せ持ち、伝統工芸品や生活道具類の素材に使われる日本文化を象徴するような植物です。そんな竹の字を持つ屋号が、新たに作るまでもなくもともとこの場所につけられていたのです。

独立にあたって店舗の改装はほとんどしませんでした。 型、長さ、素材の様々に異なる包丁が並べられているのは、薬の陳列ケースだったところです。

包丁の歪みを直したり銘を入れるための鉄床(かなとこ)も、もともと劇薬を安全に保管するために開けられていた床穴を利用しています。

 

庖丁コーディネーター? なんちゃって研ぎ師みたいやし、やめておいたほうがいい

廣瀬さんの肩書きは庖丁コーディネーター。それは独立に際して考案した新しい名称です。しかし当初は、その聞きなれない肩書きに否定的な反応も多かったと言います。
自分に何ができるのか。包丁を研いだり修理したりといった、技術的な調整ができる。加えて、食材に応じだ包丁の使い方のアドバイスができる。さらには、その人の体格や用途に合わせて最適な包丁をマッチングすることもできる。そんな「刃物職人」の枠には収まりきらない廣瀬さんの特徴に最もフィットしたのが、「包丁と人の間に立つ調整役」を意味する庖丁コーディネーターでした。
また、日本には素晴らしい独自の包丁文化があるのに、それを広く発信している人がいない。これからは語り部としての役割も担っていこう。それには肩書きが「刃物屋」では弱い。庖丁コーディネーター? 何やそれは。そんなインパクトが導入になると考えました。

修理依頼の包丁の状態を見極める廣瀬さん。 長年使われている包丁は、大きく欠けていたり、使う人のクセによって歪んでいたりします。 ただ刃先を鋭くするのではなく、その包丁が最高の状態になるよう調整していくのです。

 

この場所は、50年前からそんなに変わっていない

八木で独立してから9年、順調に業績を伸ばしていき、目標としていた京都市内に店を構えるに至りました。人と人とを包丁と食文化で結びつけるための厨房「食の間」が併設された、廣瀬さんらしさ溢れる包丁専門店です。
それでも未だにこの八木の工房に来て、作業をしています。顧客の中には、京都市内の店ではなく、わざわざここに来る人もいると言います。祖父母の経営していた薬屋 竹上は、新庄銀座と呼ばれていた人通りの多い道の角地という立地に加えて、薬だけでなく駄菓子や洗濯石鹸など日用品も取り揃えていたため、地域の人たちが自然と集う、交流の場になっていました。そのような土地の歴史、場所に蓄積された磁場のようなものが、今も多くの人を惹きつけるのかもしれません。

 

技術はもちろん、マインドを伝えていきたい

市内に店をオープンさせ、日本各地で講演や包丁の研ぎ方講座をするなど庖丁コーディネーターとしても精力的に活動する廣瀬さん。次の目標は、後進を育成することです。技術はもちろん、日本独自に発展してきた料理包丁の文化、その精神を伝えていきたいと考えています。
そして、次の庖丁コーディネーターが育ってきたならば、この八木の工房をもっと作業しやすいように改装するという構想もあるとか。次のステップも、やはりこの場所から始まりそうです。

 


取材日|2022年5月18日
取材・写真・文責|宮下忠也(京都府地域アートマネージャー・南丹地域担当)


 

廣瀬康二/食道具竹上
料理包丁専門店 食道具 竹上 代表。庖丁コーディネーターとして日本独自の包丁文化の普及、発展に努めている。

 

(記事執筆:宮下忠也(京都府地域アートマネージャー・南丹地域担当))