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[アーカイブ]瀧尻賢さん|クリエイターズファイル

山城地域|南山城村

 

本記事は、2021年度にWEBサイト【京都府地域文化創造促進事業】内「クリエイターズファイル」に掲載したアーカイブ記事です。

建築家の瀧尻賢さん。自身が設計したコーヒーショップ(木津川市加茂町)の前で。 撮影:西尾晶子

 

Biography | 巨匠たちから引き継いだ建築センス

2020年2月、オランダ・アムステルダムのとあるホールに建築家・瀧尻賢さんの姿がありました。その半年ほど前に設計した京都府・城陽市の放課後等デイサービス施設《JOYO PARC》が、FRAME AWARD という世界的な建築デザインアワードでファイナルまで残り、その場でプレゼンテーションする機会を得たのです。惜しくもグランプリは逃しましたが、世界50カ国以上から1,000を超える作品がエントリーする中での選出。世界の建築家たちと肩を並べ、学歴も肩書きも関係ない実力のみという、世界の“フラット”なフィールドを体感する、瀧尻さんにとって特別な機会となりました。

《JOYO PARC》(京都府・城陽市)がファイナルに進んだ受賞パーティー。 オランダ・アムステルダムにて。

瀧尻さんが、建築家という職業を意識したのは、小学校1年生の頃。大阪に住む親戚の叔父さんが、建築家の安藤忠雄(1941-)が設計した家に住んでおり、叔父さんから「この家、有名な世界的建築家にやってもらったんや。安藤さんて言ってな……」と、遊びに行くたびに説明されたのだとか。当時、ごく普通の木造民家に暮らしていた瀧尻さんは、コンクリート造りのその建物に、自分が育った環境にはない都市的でダイナミックなスケールを感じ取り、そのギャップに憧れを募らせたそうです。

安藤忠雄の代表作《住吉の長屋》の2年ほど前に立てられた《立見邸》。 現存はしないが、若手時代の安藤の代表作の一つ。

もう一つ、瀧尻さんと建築をつないだのは、南山城村の音楽ホール《やまなみホール》です。このホールは、建築家の黒川紀章(1934-2007)によって設計され、1991年に竣工されました。音楽を聴く以外にも、お遊戯会をしたり、映画を観たり、趣味の講座に通ったり。南山城村の人々にとっても、そして瀧尻さんにとっても、日常生活の延長にある身近なホールとして、今も変わらず木津川のほとりに静かに佇んでいます。

上空から見るとグランドピアノのようにも見える《やまなみホール》。 ドローンがない時代に上空からのファサード(外観)を意識した、当時としては斬新な建築物。 撮影:馬渕拓真

《やまなみホール》を通して、幼少の、無意識の頃から世界的建築家のセンスに触れつづけ、生活者として同ホールを使用して育った瀧尻さん。多くの人が「斬新」とするこのホールを、瀧尻さんは「圧倒的に普通で、圧倒的に斬新な建築物」と表現します。やまなみホールに対して「普通」と「斬新」、という両極にある感覚を持っていることが、建築家としての瀧尻さんの大きな武器となっています。

 

Regional Connectivity | 南山城から世界へ

生まれ育った場所とは言え、南山城村に事務所を置くことに対して、「なんでそんな不便なところに」とよく聞かれるそうです。「これは、言っていいのかわからないけど、僕は“ローカル”っていう言葉があまり好きじゃないんです。都市と郊外をわざわざ分ける必要はないし、大きく捉えたときに、世界に通用する建築とかデザインであることを目指したい」と、瀧尻さんは語ります。

フィンランドのアルヴァ・アアルト(1898-1976)やスイスのピーター・ズントー(1943-)ら、世界中のファンに愛される建築家も、彼らが住む町や村を建築活動の拠点としてきました。瀧尻さんの頭にあるのは、そういった建築家たちの姿であり、彼らがローカルに根ざして成し遂げ、世界を魅了した仕事の数々です。

南山城村の自宅にある事務所風景。 撮影:西尾晶子

《やまなみホール》のほかにも、パリのポンピドゥー・センターなどを手掛けた、リチャード・ロジャース(1933-2021)設計の小学校がランドマークとして親しまれる南山城村で、世界を見据えて建築の仕事をする瀧尻さん。現時点で、瀧尻さんにとって南山城村は、建築家としての仕事をする場所にとどまります。ただ、瀧尻さんのようなユニークな人材が育つポテンシャルがこの村にはあり、これからも彼のような人材が地域のブランディングにつながっていくのではないか、そんな期待を抱かせます。

2003年竣工の相楽東部連合立南山城小学校(R.ドジャース設計)。

緑の茶畑が広がる景観の中で、カラフルな外観が目を引く。 撮影:馬渕拓真

 

Process | 建築の視点から、子どもたちの“快適”を考える

そんな瀧尻さんのデビュー作とも言えるのが冒頭で紹介した《JOYO PARC》です。もともとは銀行だった場所を、重度障害がある子どもたちの施設として、内装を変えてほしいという依頼から、この仕事はスタートしました。ストレッチャーに乗せられた子どもたちは、上を向いている時間が長いため、天井に優しい木目の素材を選び、印象的な空色のアーチには、簡単に外に出られない彼らが森を散策するように外とのつながりを感じてほしい。そんな配慮や思いを、瀧尻さんはこの空間デザインに込めました。

《JOYO PARC》は各国のメディアで、“自由、探求、想像を内在する場所”などと紹介されました。

「僕は、障害を持つ子どもの思いはわからないけれど、親の目線には立てるから。もし自分が親だったら、子どもをここに預けることを誇りに思えるような、かっこいい場所にしようと思ったんです。使い勝手で言えば、施設のスタッフさんには使いにくいかもしれません。個人を隔離できた方が、それは100%やりやすいです。でも、あえて、そうさせない設計にすることで、施設の方にも、子供たちの“快適”について考えてもらいたかった」

世界の建築関係者が注目したこの《JOYO PARC》のプロジェクトを通して、障害者施設と言えばこんなイメージという既成概念を捨てることや、どこを向いて設計するのがあるべき姿なのか、そんなことを考えるきっかけとなり、結果として、子どものための福祉施設というジャンルにおいて、一つの可能性を世に示すプロジェクトになりました。

 

Future | 人々の心に残る建築風景を

「大阪の生野区で、こんなところに、こんな建築を作ってもいいのか、みたいなものをこれから作るんです」と、新しいプロジェクトについても話してくださいました。7月に着工されるそのプロジェクトは、変形地に建てるバイクショップ。住宅地の中に突如現れる建築物としては、かなりショッキングなものになりそうです。

大阪市生野区で今年7月に着工するバイクショップのイメージ。

「僕ら世代とか、少し上の世代の建築家の中で、いわゆる表層的なデザインとか強い構成がないのが、今の主流なんですよ。でも、僕の周りにある建築は、やまなみホールにしてもリチャードの小学校にしても、構成というかデザイン性がすごく強いじゃないですか。ああいうものが求められてないって言うんですけど、あれが実際にできたとき、みんな絶対興奮すると思うんですよ。その場になじませるために、僕も多少の調整はしますけど、全体としては圧倒的でわかりやすい建築を作りたいと思ってます。僕が語らなくても、その建築が語ってくれるくらいのものを作れたら一番いいと思うし、建築で社会問題を解決できるわけでもないけど、建築という手段を使って少しでも社会と関わり、人々の心に残る建築風景をつくりたいです」

そう力強く語る瀧尻さんが、近い将来、その場所を訪れた人の感性を刺激するような建築物を、世界を舞台に生み出していくことは、想像に難くありません。南山城村の新たなランドマークを瀧尻さんが設計し、世界中の建築ファンがその建築物を見るために南山城村を訪れる。そんな楽しい未来を思い描いてしまうような、人をワクワクさせる力が建築にはあるのかもしれません。

 

取材日|2022年3月22日
取材・文章|西尾晶子(京都府地域アートマネージャー・山城地域担当)
写真提供|瀧尻賢


 

瀧尻賢
1987年京都生まれ。SUPPOSE DESIGN OFFICEを経て、2017 年 Atelier Satoshi Takijiri Architects を設立。生まれ育った京都府南山城村を拠点に、さまざまなプロジェクトを手がけている。 《JOYO PARC》で Frame Awards 2020 ファイナリスト。

 

(記事執筆:西尾晶子(京都府地域アートマネージャー・山城地域担当))