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[ヒトを深める] アーティスト・新井辰弥さん

山城地域|宇治田原町
新井辰弥さん。自宅に描かれたグラフィティの前で。

京都府宇治田原町。新茶の季節には町全体にお茶の香りが漂うこの地域には、ある集落に差し掛かると突如目に飛び込んでくる鮮やかな壁画があります。民家の壁に描かれた冒頭の写真のグラフィティ(スプレーなどで壁に描かれた絵)は、宇治田原町出身のアーティスト新井辰弥さんが2021年に自宅の壁に描いたものです。バスケットボールやヒップホップ、そこで活躍するプレイヤーたちに触発されてきた新井さんが描いたこのグラフィティは、SNSで発信したことをきっかけに海外のメディアでいち早く注目を浴び、世界中の人がシェアするアート作品となりました。

 

Biography | 幼少期~感性のベースを築いた時代

幼い頃から絵を描くのが好きで、庭に生えている草やそこにいる虫を観察して夢中で描いていた新井さん。絵が好きだったお祖父さんにその絵を見せたり、逆にお祖父さんに虫の絵を描いてもらったり、絵を通して家族と交流し、宇治田原の自然に触れてきました。小学校に上がってからは、絵が得意であることを自身のアイデンティティとして自覚し、「絵では誰にも負けへんぞ」という気持ちが強くなったそうです。

そんな新井さんに新たな価値観との出会いが訪れたのは、中学1年生の時。北米で展開される男子プロバスケットボールリーグ(NBA)の試合をテレビで観戦してその迫力に魅了され、時期を同じくして、「地元の先輩がラップをしていた」影響もあり、ラップミュージックを含むヒップホップの世界にも強く惹かれていったそうです。

バスケットボールとヒップホップは、共にアメリカの黒人コミュニティで発展してきたという点で、互いに影響を与え合うとても深い関係性を築いています。歴史的な背景の中でバスケットボールをヒップホップの一部と見なし、NBAの選手の中には優れた音楽性を元にラップミュージックのCDをリリースしている人もいるそうです。そもそもヒップホップとは、ラップミュージック・DJ・ブレイクダンス・グラフィティを主な要素とする黒人文化の総称で、新井さん自身もラップミュージックを表現手段にすることもあるそうです。

自宅グラフィティの制作風景。背番号24をつけたコービー・ブライアント(ロサンゼルス・レイカーズ/1978-2020)の作品は、背景を描いたアーティスト・宇治丸さんとのコラボレーション。

新井さんに大きな影響を与えたのは、ヒップホップだけではありません。小学校に上がった頃、ブラックホールの存在や宇宙がどれだけ広いかという“壮大なビジョン”を教えてくれたのは、10年ほど前に亡くなったお父さんです。

「物心ついた頃から、寝る前にホーキング(イギリスの理論物理学者/1942-2018)のドキュメンタリーをいつも観させられました。ビッグバンから宇宙がどんどん膨張してる話からホーキングのブラックホールの研究まで、父親は子どもの僕に丁寧に教えてくれました。それもあって、宇宙がどれだけ広いかとか、どれだけミクロなところまで物質が存在するのかとか、そういう世界の“はしっこ”を知りたいという欲求が常にあって、その感覚は(制作をする上で)今でも大事にしてます」

「百姓の汗水は畑に染みこむ」という生前のお父さんの言葉にインスピレーションを得て制作された作品。畑の土を背景に上から絵の具を重ね、存在と存在が重なり合うこの世界が表現されています。

 

Regional Connectivity | 少しずつ変わる宇治田原の風景

山に囲まれた地形のため、近隣の自治体と町内の居住地域が離れている宇治田原町は、「内と外(よそ)」の意識や地元のつながりが比較的強い、というのが新井さんの地元に対する見立て。確かに、お茶の香りが漂うこの町は、外(よそ)の空気があまり入っていない、町独自の純粋な空気を育んできた雰囲気を感じます。

「友達は9割9分が一つしかない地元の中学校に行くから、名前を聞いたらみんながわかる状況で、それが気持ち悪くもあり、“そんなん、気持ち悪いって”って言ってる自分が心地良かったりするんです(笑)。閉鎖的なところが嫌だったけど、20代の頃にアメリカやカナダ、オーストラリアとか色々なところを旅するうちに、いつの間にか嫌じゃなくなってたし、京都の宇治田原って良いところだったんだと気がつきました」

じつは、宇治田原町ではいたるところで新井さんの作品に出会うことができます。町内の飲食店から依頼を受けて店舗の壁やシャッターに描かれたグラフィティです。沸き上がる「描きたい」という気持ちや、地元の自然への想いを純粋に表現し続けてきた過程では、それを周囲に上手く伝えきれない葛藤を抱えていた時期もありましたが、今、少しずつ宇治田原の町を新井さんのアートが彩っています。

食料品店のシャッターに描かれた宇治田原の四季。

ラーメン店では店主の希望でゴリラをモチーフに。

地元の方がオープンされたコーヒーショップ「mushroom coffee stand」。

 

Process | 『存在するということは素晴らしい』展

今年(2022年)8月、「風鈴寺」でも知られる宇治田原町・正寿院(しょうじゅいん)で、新井さんの個展『存在するということは素晴らしい』展展が開かれました。この個展には、新井さんの地元の友人から国会議員まで、様々な人がその評判を聞いて来場し、この夏の宇治田原でのホットな話題として様々なメディアで取り上げられました。

絵を描くことが「得意なこと」から「好きなこと」に変わっていったのは、デッサンに向き合うようになったことがきっかけ、という新井さん。目の前にある“もの”をデッサンする中で、重さや素材の特性など物質としての本質に極限まで迫り、目の前にある“もの”が発するエネルギーやメッセージを受け取れた瞬間が、何よりも楽しいそうです。同時に、全ての雑音をシャットアウトし、目の前の“もの”とデッサンを通じて対話する時間は、新井さんにとって「自分にしかわからない宝物をもっている気がする」とても大切な時間。今でも定期的にデッサンの時間を作っているそうです。

アメリカのラッパーで起業家・活動家としても知られた二プシー・ハッスル(1985-2019)のポートレイトなどが並ぶ個展の様子。

水素分子の振動数などの数式が見え隠れする作品は、宇宙や物質への関心がキャンバスにも広がっています。

 

Future | 好きに描き続けたい

「また個展もやるし、まだまだ色んなところに壁画(グラフィティ)も描きたいし、もっと自分の表現を突き詰めていきたい」という新井さん。地元の鉄工所、お茶刈り、デザインの仕事をやりながらも、ゆっくり家で絵を描く時間を増やしていきたいとのこと。

国内外で活動する友人を訪ねたり、美術館や路上のアートを山ほど鑑賞したり、リラックスにもなる釣りをしに行ったり、世界中を旅してまわって気がついた地元・宇治田原の素晴らしさ。宇治田原は新井さんにとってのコア(芯)であり、「自分は京都の宇治田原出身だ、と誇らしく言える自分で常にいたいし、これからもずっと宇治田原やこの町を盛り上げることに関わっていきたい」という思いを持っています。

新井さんと話す中で印象的だったのは、「好きに描き続けたい」という言葉。冒頭で紹介した自宅に描かれたバスケットボール選手のグラフィティは、まさに新井さんの「好き」が大きく花開いたもの。新井さんの生き方に影響を与え、生きていく支えとなったプレイヤーへの尊敬や感謝が込められたグラフィティは、SNSを通じて同じようにそのプレイヤーから生きる力をもらう多くのファンの間で共感を呼び、拡散され、海を越えたつながりを生みました。様々なアートが生み出され多様な価値観のもとで受け取られるこの時代に、「好きに描き続ける」ことから生まれる、新井さんにしかできない表現は、これからも多くの人に生きる力を与えていくのではないでしょうか。

お気に入りのヒップホップのCDをBGMに、自身のことを語ってくれた新井さん。

 


新井辰弥
綴喜郡宇治田原町出身。大阪芸術大学でデッサンや抽象画を学び、京都精華大学に編入。卒業後は、社会人生活の傍らポートレイト、アクリル画、グラフィティなど幅広い作品を制作。自宅の外壁をキャンバスにして描いたNBAのバスケットボール選手のグラフィティは、SNSを通じて海外でも大きな反響を呼ぶ。2022年夏に宇治田原町・正寿院で『存在するということは素晴らしい』展を開催。


取材日|2022年9月6日
取材・文章・写真|西尾晶子(京都府地域アートマネージャー・山城地域担当)


 

(記事執筆:西尾晶子(京都府地域アートマネージャー・山城地域担当))